切って綴って繕って。

発達障害持ちの悪足掻き。手芸とか絵とかゲーム話とかも。セクマイ話とか。

虎の威を借る、が「分からない」

 

たまに、というかまあそれなりに生きていると実際にでも、人づてに聞く話だったりに「虎の威を借る」というか「他人のふんどしで相撲を取る」みたいな人が現れたりします。

 

色んな人が色んなやり方で生きていくのはある種「あるべきだ」と思っているので、それがその人の生き方だというのなら咎められないとも思うんですが。

個人的に、それって楽しいのかなと首を傾げます。

寧ろ、デメリットの方が大きいのでは、とさえ。

 

確かに、誰か有名な人の名前を出すとか、そうした方が「自分もそのくらいに知名度というか他者からの認識度が上がる」という意味では最短ルートかもしれません。

でも、これって認識される最短ルートだからこそとんでもねえデメリットがあると思うんですよ。

単純に、その本人にそれなりの中身が伴っていないとそれが秒でバレるという。

 

その人が自分の知名度を上げる為に使う「誰か」はそれぞれに努力していたり、実績があったり、人格者だったり、カリスマ性があったり……まあ色々あるでしょうがどちらにせよ何かしらの「中身」があるんですよね。

「じゃあ、その人の名前を出すあなたは?」になっちゃうんですよ。これが他の方法を取るよりめちゃくちゃ早い。

本人が本人なりに何か努力していたり、何かあればまだいいんですよ。それが小さなものでも、なんでもいいんです。本人の芯が見えるものがあれば、それだけで。

でも、観測出来る範囲でそういう人……驚く程本人に何も無かったりするんですよね。何も無いどころか、「自己顕示欲」の塊だったりもう少し言えば「楽してちやほやされたい」という願望だけの人だったり。

 

だから、本人に興味を持って関わってみると「え?」ってなることがあります。

他の人の話を除外した、その人が何者かっていうところに興味を持ってみたらガラクタしか出てこないみたいな。

「お前は一体誰なんだ」と問いただしたくなる。

別に、分かりやすい活動をしていなくても、何かをしていてそれが上手く実を結んでいなくてもいいんですよ。

こんなことを書いている私も、迷走しまくっているわけですから。似たような者。

でも、空っぽだったりただの欲しかないのを見ると、さすがに「それは名前を出す人達に失礼じゃないか?」と思うわけです。

 

で、人に対してあまり関心がない私でさえそう思うわけですから、そうでもない人の反応を考えると……人気を得ようとしたのに嫌われる、というパターンが発生していてもおかしくはないよなあと思うわけです。

でも、結構いるよなあこういう人……