切って綴って繕って。

発達障害持ちの悪足掻き。手芸とか絵とかゲーム話とかも。セクマイ話とか。

アニメ映画のせいというよりも、「ウサギと亀」だ。

「アニメ映画のせいで小さな映画、実写の人たちが排除されたから映画館を危機に陥れた」
 
とあるプロデューサーの発言が、あちこちの着火剤となり炎上した。
まあ、SNSで炎上してでも自分に目を向けさせたい……注目を浴びたい、そういうことならそういう人もいるので「やはり何よりもやばいのはシャバなのでは?」と思うだけで済む。
 
思うのだけれど、私もその発言に「は?」と苛立ってしまった。
 
やっと観れた映画のことを思い出したからだ。
「JUNK HEAD」
所謂、小さな映画館でしか上映されないタイプの映画で、ストップモーション作品ということもあり、あのプロデューサーが言う「実写」とはまた違うのかもしれないが。
 
やっと地方でも観ることが出来る、今まで映像作品を発表したことがないという人の作品。SNSでちらほらと話題になっていたからこそ、いつ何処で観れるのか、と必死に検索して予定も体調不良もねじ曲げて観に行った。
そこには、映像をどうやって作っているのか考えている余裕すらない世界があった。
上映後のパンフレットも購入して、記念にとチラシを手にとって。
嫌な予感がした。
 
「海外からの逆輸入!」
 
チラシに書かれたその一文で、「もしかして、邦画の世界はとてつもなく小さいのでは?」と「狭さ」に気付かされてしまった。
 
確かに、邦画というか日本ではストップモーション作品が盛んではないかもしれない。最近でこそモルカーの人気である程度知られるようになったとはいえ、あとは「ニャッキ!」くらいの認知度の可能性がある。
制作するにしても、ストップモーションをやるくらいならそれなりの人数を集めて実写にした方が質はどうであれ手間がかからない。
海外の場合、何人かストップモーション作品の有名人も存在しているので(クエイ兄弟など)、そういうものを受け入れる土壌があったからこの作品も海外で人気を得たのかもしれない。
 
邦画とは一体何だろう。
そんなことを思ってしまう。
 
実写映画で好みの作品に出会ったこともある。
アニメ映画でも、心を打たれたことがある。
 
私が嫌なのは、「自分達の認めるものが良いもの、上級なもので、そうでないものは下流。だから貶していい。槍玉にあげてもいい」というような精神が透けて見えるのが嫌なのだろう。
 
「寅さん」は俳句の季語だという。毎年正月に「男はつらいよ」が上映されたからだそうだ。
多分、「釣りバカ」も同じ流れを汲んでいると思う。
そして、この二つの作品は「実写」であり「人気作品」だ。
この二つの作品そのものが悪いわけではない。
ただ、この人気にあてられてしまった何者かが「実写の邦画こそ至高!アニメ映画はその下!」と考えてしまった可能性はかなりある。
 
とはいえ、現代の実写映画も実写ドラマもアニメやマンガの実写化だったりすることが多いのだけれど。
そうして考えると、一から実写作品を作る土壌が少ないというか貧しいのが邦画の弱点なのかもしれない。実写作品を出し、それを大きな映画館で行えるかとなると、土壌の豊かさがある分アニメ映画の方が強く育ってしまうのはある程度仕方ないというか、「あるべき状態になった」だけかもしれない。
 
実写映画の土壌を豊かにすることを疎かにしてきた、実写映画以外を下に見た、どちらかならばまだどうにかなったかもしれないが、二つも揃ってしまった時点で気付くべきだったのだ。
自分達が守りたいものの為に何をしなければならなかったのか。
だから、大きな映画館ではアニメ映画が色々上映され、小さい映画館でも海外の作品や少し癖のある(好みが分かれる)作品を流したりする。「映画好き」は自分の好きなものを観るために映画館に足を運ぶのであって、「実写の邦画」だから観るわけではない。
 
馬鹿馬鹿しい、所詮サブカルチャー
 
きっと、そう思った時点で彼等は「止まってしまった」のだ。
どんなことであれ、続けること、止まらないこと、失敗しても続けるのが何より重要な才能だと言われることがある。
ということは、自分達のものこそ至高と笑って足を止めた時点で彼等は自ら才能を手放してもいるのかもしれない。
そうなれば、あっという間に追い抜かれるのは当たり前だ。ただ歩みを止めなかったものが他にいたのだから。