モノを作る=器用なのか。(協調運動的な話)
寒くなると、大型のキルトを作っていても暑いと感じないので助かります。
が、編み物にしてもこうした縫い物にしても指先の水分油分遠慮なく持っていくのが難点ですかね。
画像は、今私が作っているキルトの一部です。
シングルのベッドカバーくらいのサイズになる、夏用の掛け布団のようなもの。
ダブルサイズのドミット芯が販売されているのを知って、「分ければ2枚作れるじゃん!やったー!!」などとのたまい、のめり込んでしまう私の性質を知っている友人一同から「またか」と言われました。
こんなふうにあれこれと手芸に手を出している私ですが、「器用なんだね」と言われる度に首を傾げてみたりします。
確かに、独学の拙いものではありますがあれこれ作るものは多いんですが、私は自分の手が器用だと思ったことがないんですよ。
例えば、手縫いをするときに何針も連続で縫ったりしますよね。私、あれが出来ないんです。
やってみても動きがもたもたというか、機械の油が足りてないみたいなぎこちなさ。
発達障害界隈で、「身体の使い方が不器用」という話はよく聞くものです。私も運動は下手というか、どこにどう力を入れるべきなのかとか色んなことが「分からない」んですよ。
ものすごく意識してやっと、というものだったりするので、それを持続させようとしたら疲れて日常生活に支障が出ます。
「定型の人がどこまで無意識で身体を動かせているのかが分からない」
これが私の気になるところだったりするんですけど、多分聞かれても「どういうこと?」って思うだろうし困るよなあと(笑)
ただ、身体の使い方の器用さっていうのは何も分かりやすいスポーツとかじゃなくて、こういう細かなところにも出るんだろうなって。