切って綴って繕って。

発達障害持ちの悪足掻き。手芸とか絵とかゲーム話とかも。セクマイ話とか。

ADHD&ASD&LD

 

Amazonで一時品切れにまでなった話題の本、「ケーキの切れない非行少年たち」を先日購入して読み終えました。

正直、「彼、彼女が辿った道は私の『もしも』だったかもしれない」と思わされましたね。喉元に「そうなるかもしれないんだぞ」と突きつけられた気分。

 

というのも、私がASD……アスペルガー症候群などと呼ばれている(今はなんかその辺の枠が色々変化してますがまあ分かりやすく)発達障害持ちでして。多分ADHDもあります。LDに関しては「今までそれを実感しなかっただけ」かもしれません。

 

これ、本当に厄介なんですけど外見じゃ分からないんですよね。他の病の方でも外見では分からない方がいらっしゃいますが。

ある程度行動や言動を見ていて、「あれ?もしやお仲間では……?」とぼんやり当事者同士が分かるかも、とかはありますが。一見しただけじゃ無理。

 

私が診断を受けた頃がやっと発達障害の話題が出始めて、専門書籍はだいたい海外の翻訳くらいの時期で。しかも診断のきっかけは深刻な二次障害で大きな病院の精神科に移ったからでした。

そうなってくると、同年代やそれより上の方は成人してかなり経ってから「もしかして?」となるわけですよね。

 

最近はやっと小さいうちから定期検診などで発達のでこぼこが見つかって、なんとか工夫していきましょうか!ってなるようになりましたが(その分胡散臭い本や人物も増えましたが)、正直当事者である自分でも自分の扱いに苦労しているので、こりゃあ親や学校の先生は大変だよなあと思ってます。

 

あの、ぶっちゃけね、発達障害児っていじめの標的になりやすいどころか、秒でロックオンされるようなもんなんですよ。

視覚や聴覚に過敏があったり、身体の使い方が下手だったり、集団に合わせるのが下手だったり。

私は親が転勤族で小学生時代何度か転校しましたが、標的にされなかった事の方がないと思います。逆に「あとこれくらい耐えていれば転校するからいいか」と諦めるレベルで。

 

ただこれは、私が重い二次障害を発症してからとはいえ病院で診断を受け、色々あっても警察のお世話にならずに済んできたからこそそういう風に言えるんですよね。

これが、もっと違う環境だったら。

 

子供の発達のでこぼこに気付かない親、精神的に追い詰められているのが見て分かるレベルでも病院に行くことを許されなかったら。

同じ土地でずっといじめの被害に耐え続けなければいけなかったら。

こうした「もしも」は沢山ありますが、「被害者が加害者になる」という構図はなんというか、きついものがあります。

 

勿論、罪は罪ですよ。

ただ、それしか選択肢を与えられていなければそれを選ぶしかなくて。

もっと色々な選択肢を知っていれば、その罪を選ぶことなんてなかったかもしれない。

 

考えれば考えるほど、願うことが増えていきますね。