切って綴って繕って。

発達障害持ちの悪足掻き。手芸とか絵とかゲーム話とかも。セクマイ話とか。

エヴァ初心者がゆえの脳内整理。

 

先日、新劇の方のエヴァが三日間連続で放送されましたね。

エヴァンゲリオン直撃世代ではなく、当時その衝撃を受け止めるには少々幼かったので「なんか怖い」くらいにしか記憶がないんですよね。

あと、どちらかというと「少女革命ウテナ」に人生狂わされたタイプなので真面目にエヴァンゲリオンをこう……がっつり観たり考えたりしたのは今回が初めてというにわかというよりも本当に「初心者」です。

 

なので、エヴァンゲリオンファンの方々から怒られそうなことを書いてしまうかもしれませんが、どうかひとつ優しい目で見ていただけると幸いです。

(なんとなく設定を知っている、程度)

 

視聴中はもう、「報連相って大事だなあ」と「親父が悪いよ親父がさー」という感覚でした。3作品通しで観た影響かもしれませんが。

必要だから子どもを呼んで、必要な説明もなく……ってなれば「よくお子さんグレなかったね」っていう話ですよ。いや、まあ作中で本部踏もうとしたけど。

それにしても、14歳っていうのは何かしら重要な年齢なんですかね?ウテナも14歳だったし。(なのでベーコンとアスパラのあのシーンも14歳……)

 

シンジ君は生きる上で「大人の顔色をうかがう、大人の言うことを聞いて良い子にしておく」子ども、受動的な性格ですよね。まあ、それはある意味「大人にとって都合のいい子、手がかからない子」ということでもあり不安定ではあると思うんですが。

じゃあ他の子どもたちはどうなんだ、と考えれば他の子ども達も、特にエヴァパイロット達は性格形成にいびつさを持っているなーと。

いや、だいたい人格形成が整っている人なんていないと思うんですけどね。特にあの年齢で。それにエヴァンゲリオン世界の大人達だとだいたいセカンドインパクト経験者とかそういう人ばかりだろうから、大人でも精神的には大人ではない人だとか、心に傷を負っている人の方が多いでしょうし。

じゃあまあ、ある程度の心の問題は仕方ないこととしても「序」ではミサトさんが大人でもありただ一人の人間として過去を明かし、願いを話してくれたし、「破」は名の通り後半からとんでもないことになりましたが子ども達側の人間関係が少しずつ構築されました。

親子関係もぎこちないながらに関わろうとしていくのは観ていて安心したくらいです。

 

いや、まあそれも「Q」で「まじかよー!!」ってなりましたけどね!!!

 

キャラクターのお話とか、色々な設定とかの詳しい話は後々学ばせていただくとして、初心者の純粋な疑問として「何で?」っていう所が多かったんでそこも含めて初心者でーすという疑問を並べたりしたいと思います。

ただの初心者の脳内整理です!

 

エヴァンゲリオンの世界の中で、一神教に関する単語がめちゃくちゃ出ますよね。そうなると、アダムの対として出るのがイブではなくリリスなのが分からないんですよ初心者故に。

リリスも一応、アダムの最初の妻という話、別れて悪魔の方につくというような話がありますが、基本はイブだよなあと……。

悪魔とかは誘惑したりするものなんで、もしかしたらあれって使徒だけじゃなく存在を知っている人間でさえ魅了というか、惹き付ける認識災害みたいなやつなのかとか考えたりしてました。

  • 「ループもの」だとすれば

「Q」の作中で、カヲル君が明らかに「ループもの」であるような台詞を言っていたのが気になっているんですよね。

エヴァンゲリオンの世界が何を「ゴール」としてループしているのかでこれも意味は変わるよなあと。キャラクターそれぞれに思惑があると思うので、どれを正解とするのも分からないし、まあどういうゴールやルートがあってもいいと思うんです。

とはいえ、一応の方向性というか作品の「土台」が無ければループの面白味も薄れるし……と考えちゃうんですよね。

  • 「神」に近い存在云々

「破」の方でシンジ君が頑張った結果すごいことになっていましたけど、考えたらエヴァってパイロットになれるかの条件がある程度限られてますよね。

そもそもエヴァという機体そのものがロボットというより特殊な生命体なわけじゃないですか。そうなったら、そんなものと同調する、共に動くっていう時点で人間という存在から離れやすいってことだし、何かあればああなるってのはそりゃそうだよなと。逆にああなることも折り込み済みで管理とかパイロットのケアしないといけなかったんじゃないか……?え?やっぱり大人達の言葉足らずが問題じゃない?

  • 親父さんの思惑とか

三連続で作品観てて、一番自分の好き勝手に動いているのはシンジ君の親父さんじゃねーか!ってなったんですが。

マンガの方では亡くなった奥さんに対する愛というより並々ならぬ執着を息子相手に露わにしていたようですし、この映画でも他の大人達より目的がはっきりしている人なわけじゃないですか。

ただ、これは一神教の仕組みとして考えるならそのまま思う通りに行動しても目的にたどり着けるのだろうし、シンジをそのための駒として扱ってもなんら問題はないんですよね。少なくとも親父さん側からすれば。

とはいえ、これ多神教というか他の神話体系といいますか世界の成り立ちのお話の世界から考えると、親父さんの思惑の成功はそれすなわち息子に台無しにされるもの、もしくは終わらせられてしまうものなんじゃないかと。

と言いますのも、そういった世界観の場合において最初に出た神っていうのは往々にして次の世代の神(だいたいその子どもとか)に殺されたりしてるんですよね。そこから更に世界が進化していく為に、自らが作り出したものに倒される。

 

……とまあ、箇条書きにしたところで特に意味も無いネタではあるんですけど。

こうなってくると、例えばエヴァが「ただひたすらに受動的であるしかなかった、誰かに自分の生き方を委ねるしかしらなかった者が、自分の道を探すために歩き始める」を土台としているならば(カヲル君が言うシンジ君の「幸せ」もそれであると仮定)、ループというか足掻きを繰り返してそれでも、という作品なのかなーなんて。

まあ、それがああいうデカい規模で犠牲者もバンバン出るからきついんでしょうけど。

 

少女革命ウテナ」のラストもアンシーが学園を出て行くという「変化」のエンディングだったし、近い時代に生まれた作品なので多少はそういう意味も含まれていると思うんですよ。

親の我儘や支配から抜け出す、というかそれに対抗する自我獲得の為の物語……だったらいいなー!!と。

とはいえ、さすがに三日間連続で観ると脳が多動になるわ熱暴走するわで大変になるくらい、「すごい作品」なんだなーと思い知らされました。

 

安心感も大人への信頼も得られずに育ってきた僕らは。

 

ここ最近、やたら眠かったり寝れなかったりと生きる部分の土台からして忙しいことになっております。

ショートスリーパーなのかロングスリーパーなのか分からないし、尚且つそれが生まれ持った性質では無いというのが厄介。

 

先日、ある程度親元から距離を取るなら(とはいえ発達障害精神障害もあるので一般的なものとは多分違う所が多いと思いますが)、親を安心させて欲しいと言われまして。

それは結婚ですとかそういうものではなく、単純に自炊が出来るかどうかとか、金銭管理とか、まあそんなものです。

 

とはいえですよ。

自炊にしろ金銭管理にしろ、それは定型の人も社会に出て失敗する項目にも入ったりするでしょう。

専門学校に行くために地元を離れたこともありますし、そこで自炊も金銭管理も成功したり失敗したりはやりました。

 

なので正直、「え?なんで?」と思ったんですよね。

 

その上で、まあ渋々そのリクエストに応えて行く日々の中で気が付いたんですが、「実家に戻った日と最悪翌々日まで体調を崩す」という負のリズムが出来ているんです。

これはまずいな、と考えてその理由というか根幹を考えてみると、「子どもの頃には既に親に対する安心感とか信頼感を持っていない」とかが引っかかっているのかなあと。

 

親子関係の良さは人によりけりでしょうし、言い面もあれば悪い面もあるものだと思います。

そしてまあまあの割合で子どもの方がメンタル壊した所って、「親が子どもの心の地雷をタップダンスのように悪意なく荒らしまくってるパターン」もありますが、「親を安全地帯だと認識出来ない、信頼出来ない」というパターンがかなりありません?私や友人知人はそうなんですけど。

 

どこでも変わらないとしても、どうやって生き残るか。

 

発達障害の当事者として、気が付けば人生の半分以上を病院のお世話になりながら何とか日々を乗り越えているのですが。

正直なところ、「どうやって生き残るか」という問題はまだまだどうにもなりません。

こうしたものは都会、地方に関わらずあるのでしょうが(ただ、当事者などへのサポートという面では都会の圧勝になるんでしょうね)、健常者ではなく尚且つ二次障害が酷い私のようなタイプの場合、まあまあ難易度があがります。

 

人によっては結婚であるとか、パートナーの存在によってその難易度を下げているパターンもありますが、逆にパートナーにかなりの精神的負担をかけてしまっていることもあり……それが最善策と呼べるかどうかは疑問です。

正直、個人的には一人でも静かに暮らして行ければいいのですが。出来れば小動物でも飼いながら。

その願いそのものが贅沢だと思われるかもしれませんが、夢のひとつくらい持たせてくださいな。

 

しかしまあ、家賃などにしても都市部も地方も市街地から離れれば離れるほど安くなったりしていますよね。

とはいえ、定期的に通院するような人間なのに免許も持っていない身としては通院だけでなく日常の買い物すらままならなくなるのでは……と考えてしまいます。

 

あと、発達障害の方々では人によって様々だと思うのですが体質と呼んでいいのか微妙な「難儀なもの」を抱えていませんか。私の場合、体温調節が出来ないとかなんですけど。あとこれは後天的なものなんでしょうが、「食」というものにピンと来なかったり。

こういう細かなものを一覧にしてみると、「よく今まで生きて来れたな」とすら思えたりしますが残念ながらどうもまだ人生が続くようなので、「どうやって生きやすい工夫をするか」と頭をひねるばかり。

 

どうなんでしょうね。二次障害が重い場合はそっちを重点的に片付ける方向にするべきなのか、などなど。思う所は沢山あります。

障害者雇用に関しても、賃金は安いが求められるスキルは健常者と一緒というようなパターンもあるのでね……そこでぶっ倒れたこともあるのでね……

 

eスポーツと障害者。

 

先日、NHKETV特集で障害者とeスポーツについての取り組みを紹介していた。

eスポーツというと、日本ではまだまだ発展途上であるし、実際私も詳しくは知らないところが多い。

けれど、番組を観ていて「これは新たな道だ」と考えさせられた。

 

というのも、海外には障害を持ちながらeスポーツのプロ選手が健常者と同じ場で戦っているのだ。コントローラーを口で操作し、コンマ一秒以下の操作が勝敗を決めるような格闘ゲームを。

「情けはいらない。自分のプレイを観てすごいと思って欲しい」と語るその人からは、芯の強さを感じさせられた。

 

そして、日本でも障害者向けの施設などでeスポーツのプロ選手を育成しようという試み。

筋ジストロフィーなどを早くから発症した人などには、コントローラーを独自に開発してみたり。人によっては症状の進行度が違うので、キーボードが使えない人がいるならば作ればいいじゃないか!というような前向き感を全体的に感じさせられて、発達障害の当事者である身としても励まされるものだった。

 

身体障害であれ、重度の身体障害ならば就職するのは難しいもの。精神障害も難しいものだけど、それとは全く別の難しさだ。

社会参加をしたい、仕事をしてみたいと思っていても、それが出来ない。というのは仕事に日々追われる人々からすると色々と思う所があるかもしれないけれど、社会参加すらも出来ないというのはしんどいのだ。

 

それが、eスポーツによって少しでも変化していくのなら。

出来なかったこと、諦めていたことに何かしら手を伸ばせるのなら。

それだけでも、嬉しいことなのだ。

 

ニンテンドースイッチ感想。

 

昨年、やっとニンテンドースイッチ買いまして。

いやあ、ただただすげえな、と。

 

単純に、「携帯機にも出来るし家庭用にも出来る」ってことでハードがひとつにまとまったのがすごいと思うし、過去のアーカイブ系のソフト(時代的に私は遊んだことがないものとかも含む)もバンバン出しちゃうし。

携帯しかしないよ、って人に向けて一応携帯オンリーも出してますけど、それも携帯機として特別に何か分けているわけじゃないので、結局土台は同じじゃないですか。

 

私はあまり色々なゲームをする方でもないですし、例えばポケモン厳選とかやるような人間でもないんですよ。

そんな人間でも分かるすごさ。

 

プレステ系もすごいなあと勿論思ってますが。デスストとか、あんなに遊び方が広がるというか人によって様々になれるゲームって素敵だし。

 

あと、かなり扱うソフトの裾野が広がってません?スイッチになって。

あの精神がヤバい画家のゲームとかあるし……ヤギになるあのゲームもあるし……(笑)

結構手軽な料金で、「ちょっと遊んでみようかな」なくらいのゲームが買えるのはこう……「大人ももっと遊ぼうよ!」感が……ええ、本命のソフト買うついでにって他の安いソフト買っちゃいましたもん。

 

なんか、大人になってしみじみ思うのは「大人が真面目に楽しいものを作ろうとしてる」っていうのは子供にとってもそれ以外の大人にとっても有難いなあ、ってことなんですよね。

世の中、ギスギスしてないほうがいいじゃないですか。

 

障害者と地方暮らし。

 

割と切実に悩んでいます。

「障害者(精神であれ身体であれ)はどうやったら都市部以外でも暮らしやすくなるのか」と。

 

いや、ぶっちゃけ自分が悩んでいるだけかもしれないんですけどね。

正直都市部で障害者の方々がどういう風に暮らしているか、知らないことも多いので地方に生まれ地方で育ったひとりの障害者として頭を抱えているんです。

 

まず、都市部との大きな差として「車が運転出来ないと詰む」のが地方の大部分なんですよ。

これは障害が無い方でも痛感することだと思うんですが、食料品の買い物だとかちょっと出かけるっていうレベルでも車が無いとハードルが上がるどころか、生活出来る範囲がぐっと狭くなるんです。

「バスとか公共交通機関があるじゃない?」と思う方も多いでしょう。

まあ、まだ地方でも市街地、繁華街に近いエリアならギリギリですがバスの本数はあります。30分待ちとかで。

なので、もうそこからちょっとでも離れようものなら移動すらままならないんです。

本数の少ない路線バスの旅が日常。

 

だから、地方暮らしの若者が学生のうちに運転免許取ったり車を中古でも購入するのは「贅沢」でもなんでもなく、「死活問題」なんですよね。

 

で、私は身体感覚が非常に薄いので運転免許を持っていません。

もし運転免許取りに行こうとしても序盤の検査で落ちるだろうレベルなんで。

 

そして、地方の暮らしというのは基本「運転免許持ち前提」「自分の車を持っていること前提」で回っていたりするわけですよ。

自分の出来る範囲ででも仕事をしたい、とか、社会参加をしたい、とかがあってもこの辺が精神であれ身体であれ障害者の地方暮らしの難易度を上げてくるよなあ……と毎度毎度遠い目をすることになります。

 

また、「じゃあ自宅でどうにか出来る何かを!」とか何かしら考えても今度はそうした「新しい技術」だとか「あまりメジャーでない生き方」を選ぼうとすると周囲の人たちから白い目で見られたりしてですね……。

いやこれは地方にもよるんでしょうけど、うん……。

 

こうなってくると、もう家族の厄介になりながら……みたいな話にしかならず、まあ実際地方で障害者で自活出来ている人ってどれだけいるのかな、そしてその中で幸せに暮らしている人はどれだけいるのかな、と頭を抱えてしまうわけです。

下手すると、その家族が原因で精神面を壊されるパターンもありますからね!(体験談)

 

その他、災害時における行政との連携も地方では差があるようですし。

まあ、ちょっと前までなら軽い障害でも施設にぽんぽん放り込まれてたのを考えると全部発展途上なのも致し方ないのかと若干諦めの境地になったりします。

実際、存命していますが私の親戚にそういう感じで施設に入っている人もいるので。

 

障害がなくても地方の住みづらさから都市部へと出る方もいるわけですから、こういう問題はまだまだどうしようもないのかもしれませんな。

とはいえ、どうにかこうにかしたい話です。

 

 

コンサータ騒動。

 

当事者間では割と「どうなってるんだ」「どうしたらいいんだ」となっているコンサータに関するアレコレを観測しながら「どうしてこうなった」と遠い目になる半分当事者です。

半分というのはまあ、処方された経験があるからで。

私はADHDよりASDの方が強いので、他にも理由はあるんですがコンサータは合わなかったんですよね。

(そしてASDには服薬治療において分かりやすい薬がない……)

 

ADHDの方でも勿論コンサータが合わない人もいるのでその辺はまあ色々あるんですけど。

今回のコレは、正直「リタリンの時といい、なんで真面目な患者が不利益被るの?」というのが率直な感想でして。

 

リタリンとはなんぞや?」という方もいらっしゃるかもしれませんね。最近になって発達障害界隈に足を踏み込んだ人からすると。

私も「過去にその薬による騒動により大変な目に遭った当事者が大勢出た」ということくらいしか知りません。薬効等々、詳しいことは詳しい方が別にきっと様々な媒体で発信していらっしゃると思うので、その辺の騒動の詳細は是非一度調べてみていただけると幸いです。

端的に言ってしまうと「クソろくでもないニセ患者にホイホイ薬を出した病院のせい」でしょうかね。

その当時はまだコンサータは大人の服用には使えなかったというのもあり、大人の当事者はリタリン服用しながらなんとか社会生活をしていたのに、それが出来なくなったんですよ。

 

で、今回のコンサータ騒動。

これはどういう方向に意見を述べても思考を巡らせても「もっとやり方なかったの?」とかになるんですけどね。

 

大前提というかそれに近い所にあるシンプルな疑問として、「定型発達の人、そんなに薬飲みたいの?」って思っちゃうんですよ。

いや、だって「発達障害が抱える生き辛さ」は定型の人には当て嵌まらないでしょう?定型の人が行きやすい社会というものが今の社会構造なので。

刺激が欲しいとか、もっと集中したいとか、理由は色々あるかもしれませんが……やってることが違法薬物に手を出す人の心理とそう変わらない気がして。

「刺激も健康的な方向で探せない、集中力も自分でどうにか出来ない人間です」って言ってるようなもんでっせ……。

そういう一部の人たちのせいで、現在とんでもないことになってるのがなんというかもう……控えめに言って地獄に落ちて欲しい……

 

コンサータの取り扱い、元から全ての医師や薬剤師さんが処方出来るものではなかったんですよ。

だから私が一時期処方された時も薬局の変更手続きとか色々ありまして(自宅近くの薬局への院外処方が出来なかった)、まあそういう度に書類持って役所行かなきゃいけなくて。

これが、離島とかに住む場合だったらこれだけでも面倒だなあと思っていたのに。

 

な の に。

 

患者というか当事者だって、薬飲まなくて生活出来るんならそれが一番いいんですよ。(トンチキな民間療法とかウソ知識とかは勿論除外)

今生きていく社会のシステムに合わせる為に必死で頑張って、自分の能力の凸凹ではカバーしきれないから処方薬に適宜頼ってるのに。

発達障害そのまま」で社会に出ることも許されない社会って感じもありますからね。長く続いたムラ社会の陰は濃い。

 

とりあえず今は、この現状をどうにかしないといけないだけではなく。

ただただ、この騒動に巻き込まれたADHDの当事者さんが生き延びてくれることを願うしかなくて。

大袈裟?

大袈裟じゃないんですよ。

本当に。